2016年6月29日 1-13

ホンダのF1第3期と経営失敗によるフルワークス体制の撤退

ホンダは1992年にF1を撤退します。
ブランドとして無限を残していましたが、その無限も2000年に撤退して行くことになるのです。
しかし、ホンダには、オールホンダとしてコンストラクターに舞い戻るという野望がありました。
実際に撤退した1992年には自社シャシーによるテストも行われていたのです。

3期目となるホンダのF1復帰

1998年、ホンダはフルワークス体制によるF1復帰を明言します。
HRDを設立し、万全の体制を築こうとしていきますが、当時のテクニカルディレクターの急死をうけ、参戦を断念していくのです。
実際には、ホンダ内部にF1参戦はまだしも、フルワークス体制に対する慎重論は根強く、結果として断念したといってもいいでしょう。

2000年、B.A.Rにエンジン供給をするということと、車体を共同開発するという形で復帰していきます。
実際にはシャシーは2001年以降にずれ込みますが、ギアボックスの開発なども行うこととなり、段階を経てフルワークス体制に持ち込もうという野心が見え隠れしていたのです。
エンジンサプライヤーとしては、2001年と2002年にジョーダンに対しても供給しましたが、結果を出すことができず、ようやく2004年シーズンに表彰台に上がれるようになりました。
それでも、1度も優勝することができなかったのです。

壊滅的な状況と追い風

2005年となり、設計が全く追い付かず、大きく出遅れていきます。
さらに重量違反などが続き、前半は壊滅状態となってしまうのです。
それでも、後半戦にはポールポジションを獲得したり、表彰台も狙うことができるようになります。
ですが、それでもコンストラクターズランキング6位に滑り込むのがやっとだったのです。
しかし、翌年に大きく変化がくることは、ホンダにとって追い風になります。

フルワークス体制と再度の撤退

2007年、F1はたばこ広告が全面禁止となります。
かなり前から言われていたことでしたが、モータースポーツとたばこメーカーのつながりは深く、なかなか実現しなかったのです。
ところが、B.A.Rのスポンサーはブリティッシュ・アメリカン・タバコであり、2006年の段階で経営がストップしてしまいます。
そこで、ホンダは保有株を買い取り、ワークス体制を築くことができたのです。
時を同じくして、鈴木亜久里がスーパーアグリを立ち上げたことで、エンジンを供給します。
13戦目のハンガリーGPで優勝するなど、ポイントは稼げるものの4位で終了するのです。

ところが、2007年は全く振るわず、獲得ポイントは6点で終わります。
2008年となり、心機一転入賞を目指しますが、9戦目のイギリスGPで3位にはいるだけで、あとは一度も入賞できずに終わるのです。
そして、サブプライムローンを端とする世界的な金融危機もあり、2008年に突如撤退を打ち出します。
結果として、成績も出すことができないHDRは会社としてお荷物とされ、ほぼ無償譲渡のような形で売却されていくのです。