2016年6月18日 1-10

日本のレースシーンとF1人気を受けていたホンダ

日本の自動車レースは、1990年代に転機を迎えるようになりました。
さまざまなツーリングカーレースができ上がり、多くの土壌ができ上がっていくのです。
しかし、ホンダにはF1があり、国内のレースにはあまり積極的ではなかったことも事実でしょう。
それでも、いくつかの足跡を残していきます。

F1しか見ていなかったホンダ

1990年代の日本のレースシーンは、F1の人気に押され市販車のレースはそこまで目を向けられなくなっていました。
1985年から始まったJTCCは、ホンダからシビックを投入するものの、本気で勝負しているのには程遠い成績しか残せません。
その後、1988年にクラス3ができるようになり、EF3シビックが投入されカローラと争いますが、現在から当時の状況をみれば、どこもかしこもR32スカイラインGT-R一色だったのです。
1992年にはEG6シビックがデビューして行きますが、すでに特定車種のワンメイクレースのような状態では、活気が出るわけもなく1993年で終了してしまいます。

メーカーとしての争いになる全日本GT選手権

ホンダとしてはメーカーの威信をかけ参戦していたのが、全日本GT選手権であったといえるでしょう。
1993年から始まったレースで、現在のSuper GTの前身です。
現在のGT500とGT300のように、GT1とGT2に分かれて開催されていました。

GT500は、JTCCがなくなったことで行き場を失ったスカイラインGT-Rが猛威を振るう中、NSXを投入し激しく争います。
ワークス参戦しか対応できないほどの戦闘力が必要なGT500に比べ、GT300は改造カ所が少ないことで、数々のプライベーターが参加していくのです。
ホンダの車もさまざまな車種が参戦し、華やかなレースを展開していきます。
しかし、GT500は、レギュレーションの変更が頻繁におこなわれたことで、日本のメーカー以外は追従しにくく、結果として3社が生き残るだけになっていってしまうのです。
こうした背景が、日本のレース環境を狭めていることは確かであり、その色がはっきり出ていたのがGTだったことも確かでしょう。

スポーツカー廃止の方向へ

さまざまなレースが展開される中、ユーザー拡大を狙ったシビックやインテグラType-Rのワンメイクレースも盛んにおこなわれていました。
多くのスポーツバージョンを作っていくことになりますが、時代はスポーツカーではなく、ホンダもミニバンなどにスイッチしていくことになるのです。

ほとんどのメーカーがスポーツカーを廃止して行く中、ホンダもほとんどの車種を廃止します。
やがてスポーツカーは冬に時代となり、ホンダとしても新型NSXや新たなシビックの投入できる時代まで待たなければいけないのです。