2016年6月10日 1-8

F1での輝かしい時代とホンダという会社の衰退

F1の歴史の中でも、ここまで輝いたエンジンはないといわれるほど、素晴らしい成績を残したホンダエンジン。
そこには、素晴らしいシャシーがあり、ドライバーがいたからこそ、実現できたものであることは間違いありません。
どんなチームでもうらやむほどの条件をそろえることができたからこそ、ホンダの輝かしい時代を作ることができたのです。
その一方で、F1とヨーロッパ市場のかい離の問題に悩まされることになります。

圧倒的な強さを見せたマクラーレン・ホンダ

1988年マクラーレンとタッグを組むようになり、ホンダのエンジンはさらに開花します。
16戦15勝という前人未到の成績を残し、コンストラクターズタイトルを獲得し、アイルトン・セナがドライバーズタイトルを獲得するのです。
1989年には、今度はアラン・プロストが獲得し、1990年には再びアイルトン・セナが圧倒的な強さでチャンピオンになります。
最も高性能なエンジンと称されるようになり、6年連続コンストラクターズタイトルを獲得するだけではなく、ドライバーズタイトルも5年連続獲得するのです。
ここまで圧倒的な強さを見せるのは、単にエンジンだけではなく、チームとしても優れていたということになるでしょう。
日本でのF1人気も高まり、F1はホンダという図式さえでき上がって行くのです。

V12エンジンとルノーの台頭

ホンダのF1エンジンは、1991年からV12気筒になって行きます。
それまでのV10は、フェラーリなどに比べると非力になってきたためですが、このエンジンを積んだティレルは、活躍するどころか惨敗して行くことになるのです。
この背景には、F1参戦からずっと続く重量の問題がありました。
ホンダといえば、とにかく重量問題との戦いであり、このV10エンジンも重すぎるために、軽量なエンジンを積むことを想定していたティレルのシャシーはバランスを崩すのです。
結果として、それまでより成績が振るわなくなります。
その反面で、V12のホンダエンジンは非常に安定しており、マクラーレンのシャシーで安定した成績を残すのです。

しかし、他のサプライヤーも黙ってみていたわけではなく、ルノーのエンジンを積んで、とんでもない速さでやってくるナイジェル・マンセルの台頭などもあり、追い上げられるようになって行きます。

F1からの撤退とF1の立ち位置

1992年、ホンダはF1から撤退します。
日本では、F1といえばホンダでしたが、これが市販車の営業成績につながるわけではありませんでした。
ヨーロッパでもF1は人気の高いモータースポーツであることは間違いありませんが、市販車の営業成績につながるのはWRCであることは、今でも間違いのないことです。
ほとんどのメーカーが力を入れてくるのは、市販車をベースとしたレースでありF1ではありません。やはり車の売買が盛んな一般市場には適いませんでした。

バブルの崩壊ということもあり、ホンダの営業成績はどんどん下降線をたどります。
金はかかるが取り返せないF1の参入は、すべての足かせなのであり、撤退するしかなくなって行くのです。

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