2016年6月5日 1-7

ホンダが世界で輝いていた時代!F1全盛の立役者

ターボエンジン全盛となるF1の中で、ホンダは市販車で培ったターボラグ解消の技術を使い、低燃費で高出力のエンジン開発に成功します。
第1期と呼ばれるF1参入時と同様に、新販社の技術がモータースポーツにいかされる不思議な状況になっていくのです。
非常に高性能なマシーンの時代の幕開けともなって行きました。

情報戦略の勝利

ホンダの復活は、1983年のスピリットチームへのエンジン供給から始まります。
この年の最終戦には、ウィリアムズへV6エンジンを供給するまで至るのですから、いかに注目されていたかがわかるでしょう。
そののち、ホンダなくしてF1での勝利はないとまで言われるのです。
優れたエンジンサプライヤーであり続けられたのは、テレメトリーシステムの導入にもあったでしょう。
技術のホンダらしく、細かなデータ分析ができるようになり、状況に応じた対処ができるようになったのです。
これまでの、技術者としての知識の蓄積や感といった部分だけではなく、科学的に何が必要なのか、何をするべきなのかを分析し投入して行くというのは、これまでにありませんでした。
これをどこにいても衛星回線を使い本社とつないで分析をするというのは、画期的なものであったことは確かです。

中島悟とのスタート

1987年には、エンジンを供給していたロータスから中嶋悟が、F1フル参戦を果たします。
ホンダのテストドライバーも行っていた関係で、個人スポンサーとしてのサポートもする形で参戦していきます。
この時の同僚が、アイルトン・セナであり、F1の人気を支えていくことになるのです。

日本人なんて、スポンサーの問題であろうと思う人も多い中、ファステストラップを1回記録するなど、しっかりとした成績を残している点を評価しなければいけません。

ホンダとともに歩んだイメージがありますが、実際にロータスとホンダ、中嶋の関係は2年間だけでした。
1988年シーズン序盤には、ロータスへの供給停止が決まっていたためですが、開発能力にたけた中嶋を残すことにするのです。

1991年にティレルで再びタッグを組むことになりますが、それがかえって悪い結果をもたらすことになるのは、非常に皮肉なことでしょう。
ハイパワーであっても大きなユニットであったホンダのエンジンは、相性が悪くバランスを崩すことになるからです。

きら星輝く時代へ

ロータスから離れたホンダは、名門マクラーレンにエンジン供給をスタートします。
ホンダエンジン以外は優勝できないのではないかといわれるほど、好成績を残していくことになるのです。
F1の歴史の中でも、天才アイルトン・セナが花開き、プロフェッサーと称されたアラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ゲルハルト・ベルガーといったスーパースターたちが集ってきます。
その中でも、ホンダというパワーユニットは、光り輝いていた時代であったことは間違いありません。