2016年5月25日 1-4

ホンダのF1撤退!お家芸ともいえる内部問題

F1というカテゴリーの中、ホンダの苦悩は続きます。
伝統的に重いボディを抱え、変わって行くレギュレーションに翻弄されていきますが、一向に問題の解決ができない時代が続くのです。
それでも、のちに技術のホンダと呼ばれるようになるまで、さまざまな工夫を施していきます。

エンジン開発の遅れが

1.5リッターから3.0リッターに排気量が拡大されていく中、ホンダは1966年のイタリアグランプリでようやくRA273を投入するに至ります。
排気量が増大することで、もう横置きができなくなり、縦置きに変わりますがギアボックスを切り離すことができるようになるのです。
ここで、やっと整備性が向上し、さらなるステップアップを目指したいところでしたが、結果的に重量は増大する一方で、まったく勝負にならなくなっていきます。

1967年には、やっと軽量化をするためにマグネシウム合金を使うようになりますが、冷却水と反応してしまい、水素ガスを出してしまうことになるのです。
これがオーバーヒートの原因となり、成績は全く振るわない車となって行きます。

悲運なRA301

1967年後半に、ローラ・カーズとともに開発したRA300が誕生し、デビューウィンを飾るのです。
そして、1968年となり、RA301にスイッチします。
見た目はだいぶ変化しましたが、中身はRA300の改良型でした。
またここで問題が発生して行きます。
本来このまま開発して行くはずが、空冷エンジンの開発に着手したことで次のRA302に移ってしまうのです。
当然開発が停滞することとなるRA301は、さらに戦闘力を失っていきました。
信頼性も失っていき、その大半をリタイヤという結果に終わらせてしまうのです。

RA301の目的は、改良型である以上、信頼性の向上だったことは間違いありません。
ですが、この当時のホンダの迷走ぶりを表すかの如く、次のRA302はすべてに失敗して行くのです。

技術のホンダの房総と終焉

RA302は1968年に投入されることになります。
独創的な空冷エンジンを搭載しますが、デビューレースでクラッシュし、ドライバーを失うのです。
信頼性を著しく欠くマシーンでのレースができるはずはなく、1968年終盤までRA301が使われることになります。
結果として、この年を最後にホンダはF1から撤退することになるのです。

なぜこんなことが起きたのかといえば、ホンダのお家芸ともいえる本田宗一郎の信念の暴走があったといえます。
2輪で成功した空冷エンジンは、F1でも通用すると考えたのです。
それも自然通気では今の技術でも不可能ということが簡単にわかります。
ところが、空冷エンジンをつんだN360の発売と人気でF1にも強引に空冷エンジンの開発を進めさせてしまうのです。
V8にしたり、内緒でオイルクーラーを増設したりしますが、バランスを欠いたマシーンは事故を起こして、ドライバーのサーティースを失います。
それでも開発をあきらめていなかった本田宗一郎は継続を命令しますが、結果としてF1を撤退するのです。