2016年5月15日 1-1

2輪メーカーとして始まったホンダが4輪最高峰のF1参戦へ

モータースポーツとは、その名の通り、モーターやエンジンなどの原動力としている車両を使って行うスポーツを指します。
数多くのルールがありますが、乗り物自体の違いや、競技ランクによって数多くの競技が生まれてきました。
意外と歴史は長いもので、こうした乗り物が生まれれば、必然として何らかの競争が始まったともいえるでしょう。

ホンダとモータースポーツ

日本でモータースポーツが始まって行くのは、1900年前半のことでした。
まだ目新しかったモーターサイクルレースやオートバイによるレースが行われるようになります。
ですが、高価な乗り物であることは間違いなく、知名度は上がって行きません。
そんな中、1930年代に日本初のサーキット場多摩川スピードウェイがオープンするのです。
多摩川の河川敷に作られたコースであり、そこで第1回全日本自動車競争大会が開催されます。
このレースこそが、日本の自動車業界とモータースポーツの夜明けとなるのです。
なぜならば、ホンダの創業者である本田宗一郎も参加しており、日本の自動車業界の転機につながって行ったといっていいでしょう。

レース自体は3年間で5回開催されましたが、第二次世界大戦の影響で競技中止になってしまいます。
この幕開けが、ホンダとモータースポーツをつなげていくのです。

オートバイメーカーとしてのレース参戦

オートバイメーカーとして1948年に本田技研興業株式会社が設立されます。
実際には、本田技研研究所という形があったものの事業の拡大により株式会社化して行ったといっていいでしょう。
1949年には、日米対抗レースでC型モーターサイクル優勝するほどになって行きます。
1959年より、世界で最も権威があったマン島TTレースに出場し、1960年から現在のMotoGPにあたるロードレース世界選手権にも本格参戦して行くのです。
1961年には、圧倒的な強さで席巻するほどになって行きます。

驚くべきF1参戦計画

ところが、そんな快調な2輪レースを展開しながら、4輪最高峰のF1世界選手権へ参戦を1963年に考えていくのです。
それも、ホンダ技研興業株式会社となり、4輪進出を表明したのが1962年のことですから。ほとんど間などありません。
ところが、エンジンサプライヤーとして、1964年シーズンにはロータスにRA271Eを供給する寸前まで行くのです。
いろいろとご多ごとが続き、キャンセルされることとなりますが、なんと1964年の8月にはシャシーを作り参戦してしまうという異次元のことをやってのけてしまいます。
これも、実は独自参入を既定路線としていたためということがのちにわかりますが、なんにせよとんでもないことをやってのけようとしていた時代だったといえるでしょう。